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2018-08-21

夢との出会い

 

前回の内容

高校生で陸上のパッションが一度消えました。

 

その理由

・陸上に対する挫折

・パラに対する慢心

 

陸上に対する目標がわからなくなり、

燃え尽き症候群になりました。

 

今回は、そこから立ち直る過程の話です。

今のベースとなっている考えを書きます。

 

早稲田大学に入学して、日々の生活に陸上とは違う何かを求めました。

 

でも、何をしたって、あの、もがきながら、がむしゃらに走っていた高校生のワクワク感に勝てませんでした。

 

このときに「陸上のことはまだ好きなんや」と認識。

 

結局、自分の生活から陸上を切り離すことができず、陸上サークルに入ることにしました。

 

陸上サークルは「陸上が好き」という理由で人が集まる環境。

陸上への関わり方は十人十色。

 

僕も好きなように陸上を楽しみました。

(そして走るのめっちゃ遅くなった笑)

 

そんな自由な環境にいたおかげで、

僕はとても大切なことを学びました。

 

それは、

スポーツにはいろいろなカタチがあるということ。

スポーツは決して勝利至上主義ではないということ。

 

つまり、「おもろかったらええ」

自分にとってのカタチを楽しめばいい。

 

スポーツをやる理由は、勝利のためでもいいし、娯楽のためでもいいし、健康のためでもいい。なんでもいいです。

 

サークルに3年間所属して多様な価値観に出会いました。

 

そして見つけた答えは、

自分は「好きには本気でいたい」でした。

もう一度ハイパフォーマンススポーツがやりたい。「勝ち」を目指したい。

 

その答えが見つかったタイミングで、

現パーソナルコーチの早稲田大学競走部(陸上部)、礒監督にお会いするご縁がありました

 

礒監督からの言葉は、

「お前は障害に甘えている」

 

この言葉がなければ、

きっと今の自分はいません。

 

僕が大好きな陸上に本気になれなかった理由

それは、自分の中で「障害」を言い訳にしたからでした。

 

あのパッションが消えた時、

「障害」があるから陸上の世界は厳しい

「障害」の世界はレベルが低くておもろないと。

 

自分で勝手に決めつけて、自分がかわいくて、自分を守りたくて、甘えていただけでした。

 

身体的な「障害」を自分の心の中の「障害」にしていたのです。

 

僕のやりたい陸上のカタチ。

「自分に勝つ」ことだと覚悟を決めました。

 

ハンデがあるなら、それを考慮して最大限のトレーニングをする。まだやれる、もっとやれるって言い聞かせて限界を作らない。

 

自分の「障害」を本当の意味で受け入れて、乗り越えて、「個性」です。と胸張って生きていけるのか。

僕にとって陸上はそのツールなのかもしれません。

 

そして、見つけた僕の「夢」

人を社会を「WOW」させたい。

自分自身のこのチャレンジが、人や社会にいい影響を与えることができたらどれだけ素敵なことだろう。

 

2015年、大4の春

目標を以下に定め

・リオデジャネイロパラリンピック出場

・東京パラリンピック金メダル

 

夢を叶えるため再出発しました。

 

読んでいただきありがとうございます!

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